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ゲーム業界で働いていて辛かった事は? その1

ゲーム業界で働いて体験した「辛かった事」をご紹介しましょう。

「残業」「重労働」など、お馴染みの内容もありますが、外からでは見えてこない悩みも色々あります。
では、具体的にご紹介しましょう。

なお、複数ページに渡って書いておりますので、左のメニューを参照してください。


ゲーム業界イメージ

プロデューサーやディレクターによるプロジェクトの私物化。

のっけから刺激的なタイトルですが、簡単に言うと、プロデューサーやディレクターがプロジェクトを私物化してしまうという状況です。 ハッキリ言ってこれはかなり辛いです。


ゲームという物は食料品や家電品などと同様に、ターゲットとするユーザーに買ってもらうために作る「商品」です。
芸術品の様に自分の思うがままに作る物ではなく、当然ながら誰か個人的な好みで好き勝手に作るような物でもありません。


しかし時々、何を勘違いしたのか、ディレクターやプロデューサーなどのプロジェクトを統括すべき立場にある人が、「ユーザーに喜ばれる(売れる)物」ではなく「自分の好みにあった物」を作ろうと暴走する事があります。
意図的にやっているのか、それとも気づかないうちに徐々にそうなってしまうのかはわかりません。

ですが、こうなってしまうともう最悪で、デザイナーもプログラマーも、「市場のニーズに合った物」ではなく「プロデューサー(ディレクター)の好みに合った物」を作らされる羽目になります。
その人の好みと市場にニーズが合致していれば結果オーライですが、ほとんどの場合そうではありません。


こうなってくると、プロデューサーやディレクターのご機嫌を取るためにひたすら物を作るといった状況になりますので、チームの士気はガタ落ちし、目に見えて雰囲気が悪くなります。

とにかく「プロデューサー(ディレクター)の好みに合うかどうか」が唯一の条件となるので、デザイナーもプログラマーも、その成果物中に市場のニーズに合った物や、その人独自のセンスなどを織り込む事がきわめて困難になってきます。


こういった状況でガツンと意見を言える人が居ればまだマシですが、とりあえずプロジェクトが終わるまで我慢し、終了と同時に会社を去っていく、というケースがほとんどです。

そして、その問題の本人達は、なぜチームの雰囲気が悪くなったのか、そしてなぜプロジェクトが失敗に終わったのかに気が付かない場合がほとんどです。


「子供は親を選べない」という歴史に残る名言(?)があります。
ゲーム業界にも似たような言葉があります。 ズバリ「社員は上司を選べない」です。


苦楽を共にした同僚が去ってゆく時。

上で述べた「プロジェクトの私物化」と同等、あるいはそれ以上に辛いのがコレです。
苦楽を共にしてきた同僚、それも親しい間柄の同僚達が辞めていく時はかなり辛いです。

こればかりは何度経験しても、なかなか慣れません。 というより、辞めていく人は当然ながら毎回別人ですので、「慣れる」という事はありえないのかもしれません。


社員が辞める場合には、当然ながら動機、つまり辞める理由があるわけですが、内容は人それぞれです。
しかし、業界あるいは就業先の企業の劣悪な環境などに起因する場合が多く、そしてこの状況は一向に改善されません。

このような理由で社員が辞める場合、それは有る意味「夫婦の離婚」と同じでして、社員がその企業に夢も希望も抱けなくなったという事を意味しています。 なんとも悲しいことです。

この離職理由に関しては「労働環境と離職率の実態」の所で詳細に書いておりますので、そちらもどうぞ。


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CGやムービーなど、造った物がそのまま出ない時。

この悩みというか悲しみは、おそらくデザイナーを中心に、業界関係者の多くが共有するのではないでしょうか?
どういう事なのかご説明しましょう。


ゲームを遊んでいて、「ポリゴンがカクカクしているな」「テクスチャーの色数少なくない?」とか思った事はありませんか?
それらは実際にポリゴン数もテクスチャのサイズも色数も少ないのです。

しかし、好きこのんでそういう貧相な作りにしているのではありません!
そうしないとゲーム機が処理しきれないから、断腸の思いでポリゴン数を少なくしたりテクスチャのサイズや色数を縮小したりしているのです。


誰だってたくさんのポリゴンを使用して滑らかなモデルを作成し、そこに美しいテクスチャーを貼って動かしたい。
ムービーやサウンドを造った人も、せっかく造った物を劣化させて収録などしたくありません。

でも、そうしないと処理落ちしたり読み込みに時間がかかったりなど、ゲームそのものの品質に問題が出てくるのです。
個人的に、自己満足よりも処理落ちやロード時間の短縮など、ユーザーの快適さの向上の方がはるかに重要です。


もちろん、そういった限られた性能をどれだけカバーするかは各個人の腕の見せ所です。
プログラムやモデル・テクスチャーデータの最適化などで、同じゲーム機とは思えないほどクオリティーに差が出る事も珍しくありません。

また、テクスチャ圧縮技術やLODなどの各種技術の実現などでだいぶ改善されてきました。
個人的には、板ポリゴンをクロスさせる樹木の表現と、板ポリゴンを常にカメラの方向へ向けるテクニックはノーベル賞ものだと思います。(これらのテクニックは既に過去のものではありますが。)


しかし、それでもゲーム機の性能には限界があります。
では、いつの日かデータを劣化させることなく収録・表示させる事のできるゲーム機は登場するのでしょうか?


私の考えでは「No」ですね。

なぜかと言いますと、ゲーム機の性能がアップしたとしても、作り手の「こんな表現をしてみたい」という欲望とユーザーの「こんなゲームで遊んでみたい」という期待も同様にアップしてます。

なので、いつまで経ってもゲーム機の性能限界近くまでフル稼働させ、限界を超えないようにセーブする、つまり有る程度の劣化を妥協しなくてはならない日々が続くのではないでしょうか。



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氾濫するDLC商法。

「DLC(DownloadContents)」とは、この場合、インターネット回線などを通じて配信される、ゲームの追加データや不具合修正データの事を指します。
ブロードバンド回線とハードディスクドライブ搭載ゲーム機の普及が進んだ昨今では、こうしたDLCが盛んに配信されています。

作り手としては追加コンテンツの配信でゲームの延命を計りつつ収益を上げることができ、万が一不具合が発生した場合でも(本当は事前のチェックでバグを潰しておくことが望ましいのですが)、修正データを配信することで対処する事ができます。
ユーザーとしても、気に入ったゲームをさらに深く遊びたい場合に、必要に応じてデータを購入して遊ぶことが可能です。

一見双方に利点がありそうですが、最近このDLC商法が色々問題になっています。


例えば、一昔前のゲームであれば当然の如く収録されていたであろうデータが入っておらず、別途購入する必要があるという場合です。
これまでのゲームと同じ価格で内容の密度も100%。 その上で必要に応じて追加データを購入する。 これなら何の問題もありません。
或いは、基本的なデータのみ収録している代わりに価格設定も低め、これでもまあ良いでしょう。

しかし、価格は同じなのに中身はスカスカというケースが増えています。
まともに遊ぶためにはさらなる出費を強要されているも同然で、結果として高いお金を払う羽目になる訳です。


個人的には、ネットワーク配信を悪用した、明らかに越えてはならない一線を越えた商法だと思います。
ユーザーとしては買わなきゃまともに遊べないのであれば、買うしか有りません。
中には拒絶して手放す人も居るでしょうが、ある程度売れれば十分利益がでる構造になっているでしょう。
一から新しいゲームを作り、パッケージやマニュアルなども作って売るより、既存のゲームに追加データを配信する方があらゆる面で楽に儲けられますから。


ネットワーク配信を活用したダウンロード販売自体は非常に注目すべき方法ですし、魅力的なコンテンツをユーザーが満足行く形で配信している事例もあります。
しかし、前述のような一線を越えた事例が増えすぎていると感じます。
ゲーム業界で働いて居る者としては非常に萎えてしまいますし、どこかで歯止めをかけないと、最終的にろくでもない結果になりそうで危惧しています。


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