現在地   Topページ趣味と雑学Top > 高千穂鉄道(TR)と台風14号Top


スポンサーリンク


高千穂鉄道イメージ

高千穂鉄道(TR)の概要と大まかな歴史

「高千穂鉄道(TR)」とは、九州・宮崎県の延岡市と西臼杵郡高千穂町を結んでいた第三セクター式の鉄道会社です。

元々は宮崎県と熊本県を結ぶ九州縦断鉄道として計画されましたが、トンネルの出水事故により断念され、縦断鉄道の夢は実現すること無く終わりました。

なお、宮崎県と言えば「高千穂峡」と「高千穂峰」が有名ですが、どちらも全く別物であり、所在地も大きく離れているので注意してください。


元々は日本国有鉄道(国鉄)、九州旅客鉄道(JR九州)の路線(高千穂線)でしたが、1989年の廃止時に既存路線を引き継ぐ形で設立されました。

その後、通勤・通学や観光路線として運営を続けましたが、2005年9月に襲来した台風14号により、二箇所の橋りょうが倒壊するなど、路線の大半が壊滅的な被害を受けました。

甚大な被害により全線運休となり、復旧への試みがなされたものの、結局2008年12月28日に全線廃止となったのです。


現在は「高千穂あまてらす鉄道」が比較的被害の少なかった高千穂駅~槙峰温泉駅の区間を引き継ぎ、鉄道公園として整備し、スーパーカートの運行を行っています。

鉄道省の路線として開業し、時々自然災害の被害を受けつつも延伸を続け、時代の移り変わりと共に国鉄・JR・高千穂鉄道と経営母体も様変わりして、廃線を経て現在に至ります。


高千穂鉄道の大まかな歴史

【1935年】鉄道省「日之影線」として開業。

【1972年】日之影~高千穂間が開業し、国鉄「高千穂線」に改称。

【1975年】建設中の高森トンネルで出水事故。

【1980年】高千穂~高森間の路線建築を凍結。

【1987年】既存の区間をJR九州が継承。

【1989年】第三セクター化(高千穂鉄道)。

【2005年】台風14号による被害で運行停止。

【2005年】復旧の断念と廃止の方針決定。

【2006年】「神話高千穂トロッコ鉄道」設立。

【2007年】延岡~槙峰間を廃止。

【2008年】槙峰~高千穂間を廃止。

【2008年】「高千穂あまてらす鉄道」に改称。

【2009年】区間の一部を鉄道公園として開放。

【2010年】スーパーカートの運行開始。


  • 初回公開日:2008年
  • 最終更新日:2018年8月
  • 私個人が収集した情報を公開しており、内容の正確性は保証しません。
  • 無断転載・改変(リライト)等は厳禁。 判明した場合は対処します。


スポンサーリンク


「TR-100形」など高千穂鉄道を走っていた車両たち

TR-100/200系車両。 TR-100/200系車両。
TR-400系・宝くじ号_01 TR-400系・天鈿女号

*画像クリックで拡大。(撮影:2005年8月頃)

高千穂鉄道では上写真の「TR-100系」「TR-200系」、他に「TR-300系」が主力で、主に1~2両編成で沿線住民の足として活躍していました。

その後、2003年から導入されたトロッコ列車「TR-400系(宝くじ号)」は、お洒落なデザインと開放的な車内からの抜群の展望によって大変な人気を博し、週末などは予約無しでは座れないくらい賑わっていました。

ちなみに、黄色い方は「手力男(たぢから)号」、緑色の方は「天鈿女(あまのうずめ)号」という名前が付けられているようです。


トロッコ列車・側面部。 トロッコ列車・内部。
トロッコ列車・内部。 トロッコ列車・連結部。

*画像クリックで拡大。(撮影:2005年8月頃)

トロッコ列車の内部は木製のテーブルや椅子が配置されたレトロ調のデザインで、景色を満喫すべく窓が非常に大きく作られていたのが特徴です。

沿線情報などを放映するための液晶テレビや、車内販売(サービスだったかも)のポットなども見えますが、販売されていた特製弁当がとても美味しかったですね。
確か延岡名物のチキン南蛮が一切れ入っていた様な気がします。

トロッコ列車は一部の駅を通過する特急とも言える存在で、座席は指定席です。
休日などは始発の延岡駅で既に満席になるくらい人気がありました。

  • 高千穂鉄道は非電化路線なので、全てディーセル車両でした。

このページのTopへ戻る


五ヶ瀬川沿いの山間部を走る高千穂鉄道の風景

田園風景と行縢山。 のどかな沿線風景。

*画像クリックで拡大。(撮影:2005年8月頃)

JR日豊本線との接続駅である延岡駅を出発し、しばらくすると田園風景と山々が見えてきます。
左の写真の奥に見える山は「行縢(むかばき)山」で、登山で人気のある山ですね。

右の写真のように、沿線にはのどかな田舎の風景が広がり、のんびり列車に揺られていると非常に安らぎます。 都市部の通勤電車に疲れた私にとっては楽しい一時でした。


木々をかすめて進む。 駅で列車交換待ち。

*画像クリックで拡大。(撮影:2005年8月頃)

市街地を出ると程なくしてと山間部にさしかかり、時には木々をかすめるようにして進みます。

高千穂鉄道は基本的に単線ですが、一部の駅が列車交換用に1面2線構造になっています。
ダイヤ的には概ね一時間に一本程度の割合でした。


川水流駅。 かわずる。

*画像クリックで拡大。(撮影:2005年8月頃)

「川水流」と書いて「かわずる」と読みます。
非常に難しいというか珍しい地名で、あのATOKですら変換できませんでした。

ここには比較的大きな駅舎があり、保線車両の拠点でもありました。


建設中の橋。 バイパス。

*画像クリックで拡大。(撮影:2005年8月頃)

山深い高千穂町と延岡市を繋ぐ道路は、かつては五ヶ瀬川沿いの狭い道しか無く、車で行き来するのはかなり大変でした。

その後、バイパスが整備されたのに続き、北方延岡道路・九州中央自動車道の整備が進められた結果、交通の便は格段に良くなりましたが、その代償として併走する高千穂鉄道の収益が悪化する結果となりました。

  • 宮崎県延岡市と熊本県御船町を結ぶ高速道路は現在も建設中です。

風光明媚な景色と橋桁。 土砂対策の屋根。

*画像クリックで拡大。(撮影:2005年8月頃)

延岡市を出発してから30分以上経過すると、もう周辺は完全な山間部です。

五ヶ瀬川と併走するように走る高千穂線には多数の橋梁が架けられているのですが、そのデザインが全て異なるのが大きな特徴でした。

非常に興味深い事例でしたが、どういった理由でそうなったのでしょうか?
また、設計や建設、維持・管理が大変だったのではないでしょうか?

右の写真は土砂崩れや倒木対策の屋根の様ですね。
過去、台風の影響などで度々被害を受けてきた高千穂鉄道ですが、元々赤字ローカル路線だったため、ひとたび被害が出ると大変です。

  • 国鉄高千穂線は赤字が続くローカル線でした。

高千穂鉄道沿線_1 高千穂鉄道沿線_2
高千穂鉄道沿線_3 高千穂鉄道沿線_4

*画像クリックで拡大。

延岡市内から五ヶ瀬川と併走して走る高千穂鉄道。 それは山間部にさしかかっても同様です。
すぐ近くには国道218号線が走っており、時折、それを支える巨大な橋脚が姿を現します。


日之影町の風景。 日之影町の鯉のぼり。
堰堤。 日之影町立高松中学校。

*画像クリックで拡大。

高千穂にほど近い日之影町の風景で、上の二枚は「青雲橋(せいうんばし)」からの眺めです。
こどもの日の季節にはためく多数の鯉のぼりは日之影町の名物となっています。

日之影町は人口五千人ほどの街で、町内には「日之影温泉駅」がありました。
高千穂鉄道が廃線になった後も、日之影温泉駅は元気に営業を続けています。

右下は「日之影町立高松中学校」だと思われますが、現在は日之影中学校に統合されたようです。


天翔大橋。 青雲橋。

*画像クリックで拡大。

左の写真は高千穂にほど近い場所にある「天翔大橋(てんしょうおおはし)」です。
以前、何かの番組で「クリップを何個繋げられるか」みたいな実験をしていた場所ですね。

右の写真は、先ほど鯉のぼりがはためいていた場所を下から撮影したもので、上に掛かるのは国道218号線が通る「青雲橋」です。

ちなみに、この青雲橋は国道218号線沿いにある「道の駅 青雲橋」のすぐ近くにあります。
レストランやトイレなど設備が充実しているのでドライブの拠点として活用してください。

  • この付近は谷が深いので、巨大な橋があちこちに有ります。

このページのTopへ戻る


高千穂鉄道を彩る個性豊かな橋梁たち

第三五ヶ瀬川橋梁1 第三五ヶ瀬川橋梁2
第三五ヶ瀬川橋梁3 第三五ヶ瀬川橋梁4

*画像クリックで拡大。

前述の様に、高千穂鉄道の橋梁は全て異なるデザインをしているのが最大の特徴です。
その多くは廃線後に撤去されましたが、一方で今なお姿をとどめる橋梁も有ります。

この鉄橋は「第3五ヶ瀬川橋梁」と呼ばれる物で、1939年(昭和14年)に完成したとのことです。
1939年と言えば第二次世界大戦が勃発した年ですが、今なお健在である事が凄いですね。

大きくカーブしながら川を渡るこの区間、高千穂鉄道有数の絶景ポイントでした。
橋梁の近くにあるトンネルの脇にはベンチが設置されています。
ここは車で来ても楽しめる場所なので、機会があれば是非。 眺めが最高です。

この他にも、東洋一の高さを誇る高千穂橋梁など、観光名所を通過する際には放送が入ります。

  • 高千穂鉄道と言えば多種多様な橋梁が目玉でした。

TR高千穂駅とその周辺の様子

延岡を出発しておよそ1時間、いよいよ高千穂駅に到着しました。
トロッコ神楽号はここでしばし停車した後、延岡へ向けて折り返し運転を行います。

トロッコ列車の車内。 高千穂駅構内。

*画像クリックで拡大。

TR高千穂駅の構内には車両整備場も併設してあり、右の写真には車両洗浄機が見えます。

この奥には車両倉庫などがあり、さらにその奥には「南阿蘇鉄道高森線」と接続するはずだった未開通区間の跡が残っています。

  • 現在でも未開通区間には残骸が点在しています。

高千穂駅の看板。 TR高千穂駅。

*画像クリックで拡大。

こちらはTR高千穂駅周辺の様子で、週末や観光シーズンには多くの観光客で賑わい、駅の周囲にはタクシー乗り場や売店があり、レンタサイクルも取り扱っていました。


高千穂観光マップ。 神楽人形。

*画像クリックで拡大。

高千穂峡や天岩戸神社といった観光拠点が有り、民俗芸能「夜神楽」でも知られる高千穂町。
かつては駅の近くに夜神楽の資料が展示されていました。

このエリアは勾配の大きい山間部なので、観光にはタクシーの利用がお勧めです。


このページのTopへ戻る


スポンサーリンク


台風14号で壊滅的な被害を受けた高千穂鉄道

地域住民の足として、そして観光資源として愛されてきた高千穂鉄道ですが、2005年9月6日に直撃した台風14号により壊滅的な被害を受けてしまいました。

これまでも自然災害の被害を受ける度に復旧してきましたが、今回の被害は過去の物とは桁違いに大きく、残念ながら2009年3月を持って高千穂鉄道は解散してしまいました。

ここでは、台風直後に撮影した各所の被害状況をご紹介します。


完全に破壊された川水流駅付近の吊り橋

破壊された吊り橋1 破壊された吊り橋2

*画像クリックで拡大。

これは延岡市内から車で30分程の場所にある歩行者用の吊り橋で、川水流駅の近くですね。

五ヶ瀬川が大きくカーブした見晴らしの良い場所に有り、川岸には公園も整備された絶好のロケーションだったのですが、台風14号の影響で川が増水し,完全に破壊されました。


破壊された吊り橋3 破壊された吊り橋4
破壊された吊り橋5 破壊された吊り橋6

*画像クリックで拡大。

床板や手すりが完全に崩落し、骨組みが露出した姿は無残としか表現できません。

まるで爆撃を受けたかのように破壊されています。
自然の猛威が如何に恐ろしく、そして我々がいかに無力かを思い知らされます。

手すりの大きさや道幅から吊り橋の大体の規模が分かると思いますが、それを考慮すると、増水時は軽く5メーター以上は水かさが増えていたはずです。

普段の穏やかな様子しか知らない私には、これほどまで増水した事が未だに信じられません。

  • この吊り橋はその後も再建されていません。

このページのTopへ戻る


第一五ヶ瀬川橋梁の被害状況

こちらも先ほどの北方町・川水流駅付近の様子です。
この付近は五ヶ瀬川が急カーブしており、近くに道路と高千穂鉄道の橋梁が有ります。

堤防の上まで浸水。 歩道橋の上まで浸水。

*画像クリックで拡大。

これは堤防の上の道路を跨いでいる歩道橋ですが、こちらも台風の増水で被害を受けました。
歩道は濁流によって完全にえぐられ、アスファルトの下の地面が露出しています。

この付近は水面から10メートル近く高い場所だと思うのですが、それでも水没した様ですね。


第1五ヶ瀬川橋梁の残骸。 第1五ヶ瀬川橋梁の残骸。

*画像クリックで拡大。

この付近には高千穂鉄道の「第1五ヶ瀬川橋梁」があったはずですが、何やら様子が変です。
近くまで来て絶句。 なんと、橋桁が全て流されていました。


第1五ヶ瀬川橋梁の残骸。 第1五ヶ瀬川橋梁の残骸。

*画像クリックで拡大。

橋桁はあんなに水面から高い場所にあったはずなのに、完全に消えて無くなっています。
簡単には流されないはずの、重くて強固な橋桁が跡形もなく消え去っています。

空高くそびえ立った橋脚の上には橋桁の姿はなく、増水時に付着したゴミが残るのみ・・・


第1五ヶ瀬川橋梁の残骸。 第1五ヶ瀬川橋梁の残骸。

*画像クリックで拡大。

近くまで行ってみると、橋脚のいくつかは倒壊している事が判明しました。
しかも、崩れたと言うよりは、切れ目に沿ってポッキリと折れたといった感じです。

あまりにも綺麗な断面図なので、色々と疑問が浮かびます。
水圧で倒壊したはずなのに、なぜ真横に切断された様に途中から倒壊しているのでしょうか?

数百ミリもの装甲厚がある戦車を解体する時は、強い水圧の水を当てて切断するという話を聞いた事がありますが、この橋脚も濁流というよりは人工的な力が作用したような印象を受けます。

水が引いた後に、倒壊の恐れがある橋脚を意図的に破壊したのかもしれませんが、倒壊したパーツが砂に埋もれかけているので、やはり濁流の力で倒壊したのでしょうか?


生き残ったコンクリートの橋桁。 崩落した鉄製の橋桁。

*画像クリックで拡大。

川の向こう側にある橋脚の上には橋桁が残っていました。
増水時にはあの辺も水没したと思われますが、川岸から向こうは無事なようです。

そして周辺の川岸には崩落した橋桁の一部が散乱していました。
こちらは鉄製の橋桁で、ちょうど水面の上に設置されていた物ですね。

状況からすると、コンクリート製の橋桁は生き残り、鉄製の橋桁は流出した様です。
材質の違いなのか、それが設置されていた場所に原因があるのかは不明です。


しがみついたレール。 流されかけても壊れないレール。

*画像クリックで拡大。

橋脚や橋桁が倒壊したことにより、その上に有ったレールも無残に流されていました。

よく見ると、レール自体は分断されることもなく、また、付随していた枕木も多くが生き残っています。 橋桁が流され、濁流の水圧に晒されながらも耐え抜いたのですね。


川底に横たわる線路。 川底に横たわる線路。
川底に横たわる線路。 川底に横たわる線路。

*画像クリックで拡大。

橋桁の上から流されたレールは、水圧でグニャグニャになりながらも、川底を伝って向こう岸の橋桁まで繋がっていました。 鉄道レールの柔らかさと強度の強さは凄いですね。

  • 折れ曲がりはしても、決してちぎれない鉄道のレールは凄いですね。

このページのTopへ戻る


旭化成「五ヶ瀬川発電所」付近の被害の様子

旭化成 五ヶ瀬川発電所 旭化成 五ヶ瀬川発電所

*画像クリックで拡大。

ここは日之影温泉駅から少し下流に有る「旭化成 五ヶ瀬川発電所」です。
延岡市内に点在する関連工場へ電力を供給する為に設立されたようですね。

この発電所に関しては、目立った台風の被害は無いようですね。


日之影温泉駅の対岸。 日之影温泉駅の対岸。

*画像クリックで拡大。

五ヶ瀬川沿いに住宅が点在していますが、注目すべきは川と住宅を隔てる断崖絶壁。
ここまで高さが有ると落ち着かない気がするのですが、住むと慣れるのでしょうか?

また、場所によって地盤の補強の仕方がバラバラなのが気になります。
強度や保守管理の面で色々不都合がありそうな気もしますね。


日之影温泉駅付近の被害。 日之影温泉駅付近の被害。

*画像クリックで拡大。

先ほどの五ヶ瀬川発電所の対岸付近の様子です。

水面からかなり高い位置に有るにもかかわらず、完全に水没して大きな被害を受けています。
側壁が丸ごと剥がれ落ち、線路下の地面も大きくえぐられています。


日之影温泉駅付近の被害。 日之影温泉駅付近の被害。

*画像クリックで拡大。

こちらも同じ場所を撮影した物です。

レールは一応原形をとどめていますが、それ以外はまるで爆撃でも受けたかのような被害状況です。
コンクリート壁内側の地面が流出しており、水流の激しさを物語っていますね。

隣を流れる五ヶ瀬川の穏やかさを見ると、ここまで被害を受けた当時の状況が想像できません。
自然の恐ろしさ、そして人間にはコントロール出来ない物であるという事を痛感しました。


このページのTopへ戻る


スポンサーリンク


日之影温泉駅付近の被害状況

日之影温泉駅の周囲。 日之影温泉駅の周囲。

*画像クリックで拡大。

こちらは「日之影温泉駅」のホーム内から撮影した様子です。

右に見える建物が駅舎を兼ねた温泉施設で、レストランや売店なども併設されています。
高千穂鉄道廃線後も日之影温泉は変わらず営業を続けており、なかなか活気が有りますよ。

増水時はこの付近まで水位が上がったらしく、線路が大きな被害を受けています。
電柱は倒壊寸前の状態ですが、温泉施設は無事だったのでしょうか?

  • 日之影温泉駅の駅舎と施設は2018年現在も元気に営業中です。
  • 生き残った車両を改造した宿泊施設「TR列車の宿」も有ります。

日之影温泉駅の周囲。 日之影温泉駅の周囲。

*画像クリックで拡大。

この付近の線路は一部の枕木が消失している点を除けば概ね健在です。
しかし、線路下の地面の被害が大きく、まるで液状化現象時の地面のような有様ですね。


日之影温泉駅の周囲。 日之影温泉駅の周囲。

*画像クリックで拡大。

こちらも日之影温泉駅付近の写真です。

線路の位置と五ヶ瀬川の水面を見比べると、どう見ても軽く10メートル以上は高さがあります。
まさかこれほどの高さまで増水するなんて、いったい誰が想像できたでしょうか?

今回ここまで増水したと言うことは、再び同じくらい増水する可能性が有るという事。
つまり、仮に復旧しようとした場合、それを踏まえた対策が必要という訳ですね。


日之影温泉駅の周囲。 日之影温泉駅の周囲。

*画像クリックで拡大。

ここは日之影温泉駅から少し下流方向に行った場所です。
線路が分岐していますが、これは日之影温泉駅が1面2線構造である為です。

この付近も増水による被害を受けていますが、すぐ近くにある民家は大丈夫だったのでしょうか?


日之影温泉駅の周囲。 日之影温泉駅の周囲。

*画像クリックで拡大。

日之影温泉駅の対岸、つまり五ヶ瀬川の右岸側の様子です。

濁流にも揉まれた樹木が大きく傾いており、さらに上の方では土砂崩れが発生した模様です。
幸いにも、すぐ横にある体育館の様な物には紙一重で直撃しなかったようですね。

右の写真はやや上流に行った辺りです。
コンクリート製の壁が崩落していますが、あの付近まで増水したという事が未だに信じられません。


このページのTopへ戻る


壊滅的な被害を受けた第二五ヶ瀬川橋梁

第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

ここは「第二五ヶ瀬川橋梁」からやや上に行った辺りです。
濁流により、線路と枕木の下にある地面がゴッソリと流出していますね。


第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

濁流で流されてきた流木が屋根の支柱に突き刺さっていました。
このことからも、この線路が完全に水没したと言うことが分かります。

線路の真横を流れる五ヶ瀬川は普段はこんなに穏やかで、しかも遥か下を流れているのに、それがここまで増水するとは、本当に自然の力は恐ろしいものですね。


倒壊した第二五ヶ瀬川橋梁。 倒壊した第二五ヶ瀬川橋梁。

*画像クリックで拡大。

橋桁や橋脚に甚大な被害が出たのが、この「第二五ヶ瀬川橋梁」です。

一説に依れば、「第1五ヶ瀬川橋梁」と「第2五ヶ瀬川橋梁」の二箇所が壊滅した事が、高千穂鉄道の復旧を断念した最大の要因で有るとのこと。
確かに甚大な被害状況ですが、仮に修復するとなれば、一体何億必要なのでしょうか?

  • この二箇所の橋梁が崩壊したことが致命的だったようです。

第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

橋桁の上にゴミが付着している事から、橋梁全体が完全に水没した事が分かります。
水流に押され、先端部分は折れ曲がっているようです。


第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

川の中にある橋脚が倒壊したため、そこを境に橋桁が崩落しています。
「第1五ヶ瀬川橋梁」でも同様でしたが、線路だけはちぎれずに繋がったままですね。


第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

まるで爆撃で破壊されたかのような被害状態です。
あれほど巨大な橋脚が完全に倒壊していますが、一体どれくらいの水流だったのでしょうか?


第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

この辺の橋桁は完全に流出しており、橋脚だけが虚しく残っています。
想定される水面の高さからすると、向こうに見えるトンネルの内部も浸水した可能性があります。


第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

橋脚と橋桁は頑丈な留め具で固定されていたはずですが、そでも崩壊してしまいました。

数十メートル下流には、流出した橋桁のいくつかが残されていました。
あれほど巨大な橋桁が流されるとは・・・


第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

かろうじて倒壊を免れたこの橋脚も、よく見ると巨大な亀裂が入っています。
倒壊の一歩手前だったのでしょう。


第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

「第一五ヶ瀬川橋梁」の倒壊した橋脚もそうでしたが、断面図が妙に綺麗なのが気になります。
まるで輪切りにした様な状況ですが、コンクリート柱が壊れるときの特徴なのでしょうか?

右の橋脚の内部には、巨大な岩が埋め込まれています。
倒壊した二本の橋脚は岩の上に設置されていた様ですが、倒壊した一因なのでしょうか?


第二五ヶ瀬川橋梁の被害。 第二五ヶ瀬川橋梁の被害。

*画像クリックで拡大。

右の写真の様に、亀裂には一直線に入った物と、複雑に入った物の二種類が確認できます。
前者の方は、建造時の分割・接合ラインとかでしょうか?

ちなみに、この写真の橋脚は幅が4~6メーター程も有る実に巨大な物です。


第二五ヶ瀬川橋梁の情報。 第二五ヶ瀬川橋梁の情報。

*画像クリックで拡大。

橋桁の一つには、塗装などの施工業者の情報が記載してありました。

右のプレートには「鉄道省」という名称が確認できます。
「鉄道省」は戦前に存在した鉄道管理機関で、路線開業当時の名残ですね。

  • 鉄道省から始まり、国鉄・JR・高千穂鉄道と管理者が変化してきたわけですね。

このページのTopへ戻る


静かに復興の時を待つ高千穂駅

運休時の高千穂駅の様子。 運休時の高千穂駅の様子。

*画像クリックで拡大。

台風の被害を受けて全線運休中の高千穂駅の様子で、日中ですがひっそりと静まりかえっています。
信号が再び青に変わるその時を、ただひたすら待ち続けているのです。


運休時の高千穂駅の様子。 運休時の高千穂駅の様子。

*画像クリックで拡大。

高千穂鉄道を通勤や通学、通院などに活用していた人は結構いたはずです。
そんな人々にも多大な影響を与えた今回の台風。
振り替え輸送用のバスなどが運行されたそうですが、色々不便だったことでしょう。


応援メッセージ。 応援メッセージ。

*画像クリックで拡大。

駅の待合室には、高千穂鉄道の復興を望む人達から寄せられた多くの応援メッセージが張り出されていました。 本当に愛され、必要とされていたという事が分かります。


関連ページのご紹介

この他にも、高千穂鉄道関連の駅舎や橋梁などの情報を公開しております。
画面左や下に有るリンクからどうぞ。


スポンサーリンク


雑学コーナーTOP



関連記事(一部広告を含む)

Page Top