廃坑後の槇峰(まきみね)鉱山とは?
槇峰鉱山とは、宮崎県延岡市(合併前は東臼杵郡)北方町付近にあった鉱山です。
歴史は古いですが、昭和期に三菱金属の管轄となり、昭和41年頃に閉山となったようです。
TR槇峰駅にほど近く、当時は槇峰駅まで鉱物を運ぶトロッコ線が繋がっていたようです。
槇峰駅の近くを走る県道237号線から分岐する県道214号線沿いに関連施設の跡が点在します。
そこからさらに上ると坑道入り口や施設の廃墟などが有ります。
【所在地】 宮崎県延岡市(旧:東臼杵郡北方町付近)北方町槇峰~菅原付近
【周囲にある物】 国道218号線、県道237号線、県道214号、美々地小学校、五ヶ瀬川、民家、他
【車でのアクセス】 可能 (可能=車で直接行ける。 不可=車では直接行けない。)
【徒歩でのアクセス】 可能 (容易=特に問題なし。 困難=徒歩でも大変。)
- あくまで私個人が趣味で収集したデータを公開している場です。
- 情報は日々変化しており、内容の正確性の保証はしません。
- 無断転載・改変盗用等は厳禁。 判明した場合は対処します。
スポンサーリンク
2012年1月における「槇峰精錬所跡」付近の様子
県道214号線に入って数分も行くと、早速関連施設の跡が有ります。
これは「槇峰精錬所」の跡地で、現在は有毒物質を含んだわき水を浄化する施設として使われている様です。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
いかにも古めかしい橋ですが、これは「槇峰橋」と呼ばれる橋で、ここを渡って直ぐの所に精錬所跡が有ります。
欄干の所に作られた年月が書いてありますが、昭和何年と書いてあるのか読めませんね。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
槇峰橋付近の景色です。 ご覧の通り、完全に山に囲まれています。
しかし、稼働していた当時は関係者が何千人もこの付近に住んでいたそうです。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
槇峰橋の横には廃墟が有ります。 いつ建てられた建物かは分かりませんが、近くの階段などは朽ち果てています。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
槇峰橋を渡って直ぐ左には、槇峰精錬所の跡が有ります。
前述の様に、現在はわき水の浄化施設として稼働しているようです。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
濁ったわき水が延々とわき出ており、それを浄化するのがこの施設の役目。
付近には小さな坑道の様な物が有りますが、用途などは不明です。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
県道214号線の対岸には、トロッコ線跡と思われる若干開けた道が続いています。
当時使われていたであろう線路や電柱が点在しています。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
精錬所跡から少し登ると、中国人労働者の慰霊碑が有ります。
当時中国大陸等から労働者が送り込まれて作業に従事していましたが、落盤などで亡くなったのでしょうか。
慰霊碑の裏には中国人労働者や関係者の氏名が記されています。
スポンサーリンク
2012年1月における「槇峰鉱山跡」付近の様子
精錬所跡からしばらく214号線沿いに登り、途中で右に分岐すると、槇峰鉱山跡に到着します。
茂みの中に関連施設の残骸が点在しており、そのいくつかは近くまで行って見る事が可能です。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
ここは見るからに坑道入り口と思われます。
現在は封鎖されていますが、人が出入りできる扉が付いており、おそらく中は健在だと思われます。
坑道入り口には三菱のマークが付いていますね。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
ほとんど朽ちていて読めませんが、「昭和九年」という文字が確認できます。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
坑道入り口付近には作業事務所の様な物が有ります。
こちらも既に朽ち果てており、何年前まで稼働していたかは不明です。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
坑道入り口の近くには選鉱所跡地があり、その周囲にはコンクリート製の残骸が点在します。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
こちらはかなり大きな建造物です。
ロリアンやブレストにあるUボートブンカー跡を彷彿とさせますが、何の施設だったかは不明です。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
ここは選鉱所跡の広大な広場です。 広場の隅に小さな小屋が残っている他は何もありません。
*画像クリックで拡大。(撮影:2012年1月頃)
広場の隅には堰堤の様な物がありますが、当時は水などを貯めていたのでしょうか?
壁の向こうには手すりと道があり、美々地小学校付近まで降りていける様です。
望遠レンズで見ると、坑道入り口の上にも建造物が有るようです。
この辺は立ち入り禁止になっています。
スポンサーリンク