ゲームで遊ぶのが好きだった私がゲーム業界に飛び込んでから結構経つわけだが、ふと思い返すと色々な事が有った。
残業したり休日出勤したり、深夜残業中に突然鼻血が止まらなくなったり・・・
碌でもない思い出も多かったけど、その一方で楽しかったり何かの教訓として一役に立ちそうだったりする思い出も色々有る。
このまま誰にも伝えないまま死んでいくのは勿体ない・・・! そう思った訳である!
このコーナーでは、そんなゲーム業界での面白出来事を色々紹介していこうと思う。
何かの参考にしたり、或いは暇つぶしにでもなってくれたら幸いだ。
【実は計算通り?】 突然決まった上海出張

それは 十年前 会社で仕事をしていた時の事であった・・・
とある日の仕事中、上司がやって来て私にこう言ったのである。

「○○君、突然だけど中国に行ってくれないかな?」
もちろん中国地方の事ではない。ラーメンマンや春麗、ワンターレンの故郷でもあるチャイナの事だ。
ゲームや漫画を愛する者ならばお馴染みのあの中国に行ってこいと・・・!?
突然の展開に私は驚いた。
・・・のだが、これはある意味「想定内」の出来事でもあった。
というのも、私は日頃から取材やイベントの視察などに行くチャンスが有れば積極的に参加していたのだ。
ゲームの開発は開発室に籠もってひたすらPCと向き合う日々なので、たまには外で情報収集を兼ねてリフレッシュしたくなるからね!
しかし、ゲームの開発者が仕事で外に行く機会はほとんど無い。
なので、数少ないチャンスが来たら確実にゲット出来る様に、日頃から根回しっぽい事はやっていた。

かぁ~出張いきたいなぁ~。取材も行きたいなぁ~。
チャンスがあればなぁ~。 かぁ~ツレ~わ~。
そう、地獄から響いてきそうな感じで、ウザイほどに周囲にアピールしていたのである。
涙ぐましい根回しの甲斐が有ってか、見事私に白羽の矢が立ったという訳だ。
ゲームの開発者が仕事で外に行く機会と言えば「TGS(東京ゲームショー)」や「JAEPOショー(AMショーとかJAMMAショーとか時代と共に呼び方も色々)」等が有る。
私の勤め先の場合、これらのイベントには基本的に強制参加みたいなものだった。
気が付いたら机の上にチケットが置いてあって・・・みたいな感じで。
ただし、いずれも年に一回程度の催しだったので、やはり外出の機会は少なかったのだ。
当時私の勤め先は上海に現地法人を作り、そこで開発を行っていたのだが、そこで雇ったスタッフがゲームに不慣れで、お世辞にも開発は順調とは言いがたかった。
何度かオンライン経由でサポートをしていたのだが、やはり現地に行って直に指導して欲しいという話しになったわけだ。
念願の海外出張をゲットした訳だが、困った事に私は中国語はほぼ分からない。
冗談抜きでニーハオとモーマンタイ位しか分からん・・・ 無問題どころか大問題である。
出発までは僅かな時間しか無く、今から言語学習をするのは無理が有る。
英語にしろ中国語にしろ、単にその言語を知っていれば大丈夫という訳では無い。
単に観光に行くだけならそれでも良いかもしれないが、仕事で行くなら話しは別だ。
一般的な言葉が話せても、専門用語や関連知識などの技術的な事が分からないと、結局会話が成立しないのだ。
これ、結構重要な事なのでテストに出るかもよ!
しかし、幸いにも私はデザイン担当の技術者だ。
現地でPCを操作しながらビジュアルで説明すればなんとかなるはずだ!(実際なんとかなった)
それに、現地には日本人スタッフや日本語が出来る現地スタッフも居るし、いざという時には間に入って貰おう。
いざ、中国でワンターレンと握手!
【事件(?)はコンビニで起こった】全家での買い物中に・・・

と言う訳で、やって来ました上海。
「早ッ!」と思うかも知れないが、成田空港から上海(浦東)までは僅か三時間ちょいの距離である。
その内半分位は日本上空を飛んでおり、海に出たらあっと言う間に上海に着いてしまう。
半日くらい平気でかかるヨーロッパ線などに比べると本当に近いのだ。
内陸部の奥地はともかく、上海をはじめとした沿岸部はかなり身近と言えるだろう。
具体的な仕事の内容に関しては別の機会に書くとして、一ヶ月近く滞在した上海でどう過ごしていたのかというと、基本的には会社で黙々と仕事をしていた。
朝起きてホテルから会社へ向かい、毎日残業して夜遅くホテルへ戻って寝る。
異国の地でも相変わらず残業している私って・・・
「世界の何処へ行ってもやる事は同じだな!」って具合に、なんだか面白くて笑ってしまったほどである。

朝食は会社の近くにあるコンビニで適当に購入し、昼間は基本的に日本料理店からデリバリー。
夜は市内のこれまた日本料理店やチェーン店(マックとかCoCo壱番屋など)に食べに行く日々だった。
で、これはお馴染みファミリーマートである。
なにやら「全家」と書いてあるが、これは現地でファミマの事を意味する言葉で、発音的には「チュエンジャ」みたいな感じだった。

で、こっちはローソン。 「ら・もり」? フランス語ではない。
これもローソンを意味する言葉で、発音は「ローリン」みたいな感じだったと思う。
どうも海外企業が中国で事業を行う場合、既存のロゴや文字列を中国語に改める必要が有る模様だ。
或いは中国語との併記を義務付けられているのだろう。
このファミマやローソンを始め、マックや味千ラーメン等もそのようにしていた。
前述の様に私は中国語がほとんど分からなかった訳だが、それでも買い物は特に問題は無かった。
購入したい商品を手に取ってレジに行き、店員にお金(人民元)を手渡すだけ。
後は店員が商品を袋に詰めておつりを渡してくれる。
一切の会話は発生しないし、何も問題無かった。

いや~、買い物ってホントに良い物ですネ!
そんなある日、いつもの様にコンビニで買い物をしている時に事件は起こった。
レジに商品を持って行き、店員が袋詰めしてくれるのを待っていると、突然店員が話しかけてきた。

○×■△ΩσλεΔανζη!>?
なお、日本に袴&ちょんまげ姿の人が居ないのと同じで、中国にもチャイナ服&弁髪姿の人など居ない。
あくまでイメージ画像なので勘違いしないで欲しい。

前述の様に私は中国語はほとんど理解できないので、店員に話しかけられてもサッパリ分からない。
店員はなおも何か言ってくる。どうも何かを質問している様だが、何度も言う通り、全く分からないのだ。
すると、店内に居た周りの人も「なんだ? どうした?」みたいな感じで次々と集まってくるではないか!
ほんの僅かな時間に、私はなんとたくさんの中国人に取り囲まれてしまった!
いったいこの狭い店内のどこに居たんだ? と言いたいくらいにたくさん集まってきた。
そう、まるで試合後に囲み取材を受ける監督の如く、囲まれたのである。
想像してみて欲しい。 遠い異国の地で外国人に周りを取り囲まれ、理解できない言語で次々に話しかけられている場面を・・・!
この時の私は完全に頭が真っ白になっていたと思う。 パニックを通り越して、何かこう別の状態に至った様な感じだ。
これまでの人生において、ここまで焦った事は無かったと思う。
どれくらいの時間が経過したのかは覚えていないが、ふと我に返り、この状況を脱する術を考えた。
そして、とにかく「私は中国語が理解できないと言う点を相手に伝えること」が重要だと思ったのだ。
その時、「中国語では日本人の事をリーベンレン(ri ben ren)と言う」という知識を思い出した。
どこで得た知識なのかは覚えていないが、漫画か何かだったような気がする。
なお、このリーベンレンという言葉は俗称ではなく、通常の意味で用いられる言葉である。
「これだ!!」とばかりに閃いた私は、とにかく周りの人間に向かって自分を指さしながら何度も伝えた。

り、リーベンレン、リーベンレン!
ア、アイアムリーベンレン! 中国語分からないアルよ、アハハハハ・・・
ひたすらリーベンレンを連呼するだけなので、意味的には「日本人」という意味でしかないが、もちろんそこには「私は日本人だから中国語サッパリなの! 察して!!」という意味が込められているのである。
で、どうなったのかというと・・・ 察してくれた。
「あー、そうなのね」みたいなリアクションをした店員は、中国語から英語に切り替えてくれた。
さすがに日本語は話せなかったらしく、次善の策として英語で話しかけてくれたのだ。
何を聞かれたのかは忘れたが、箸やストローは要るか?みたいな内容だった気がする。
そう、ほんの些細な内容だったのだ。言葉が分からないという理由で、ここまでの大事になったわけだ。
英語で軽くやり取りした後、無事に会計は終了。
周りに集まっていた人々も、まるで何事も無かったかのように居なくなった。
まるで数時間くらい経過したかのような気分だったが、実際は僅か数分程度の出来事だった。
【トラブルを糧にしよう】今回の出来事で得た教訓
今回の出来事は、そもそも私が中国語に堪能だったら発生しなかった事である。
しかし、常にそう上手くいくわけでは無く、常に大小様々なトラブルは発生する物だ。
今回の自分の対応を振り返って見よう。何か次に活かせる点があるかも知れない。
まず多少パニックに陥ってしまったが、基本的に冷静に対応出来たという点が挙げられる。
そして、何をすべきかを考え実行できたという点だ。
相手の話す内容が理解できない状況で「あー、うー」と唸っていても埒があかない。
「この状況に私は対応出来ません」という点を相手に伝える事が何より重要だった。
今回は相手の察しが良くてだいぶ助けられた面も有るが、それを考慮しても対応としては良かったかなと思う。
よく、「日本人は外国語が理解できない際に、適当にイエスとかソーリーとか言ってしまう」という話しを聞くのだが、これだと相手に誤解を与えるだけでますます状況が悪化してしまうだけだ。
特に海外においては「ソーリー」はこちらの非を全面的に認めたという意味に取られてしまうので、日本国内の感覚で「すいません」と言うのは非常に危険だ。
相手の主張内容が理解できない状況で話しを進めてしまうのは絶対に避けるべきだろう。
とにかく落ち着く。そしてこちらの状況を説明する。 これが大事だと感じた。
これは海外に限ったことでは無く、日本国内での生活においても共通する事だと思う。
焦ったときこそ冷静に。必ず理解と納得が出来てから事を先に進める。これが重要だ!
【おまけ】上海から戻ってきた私を待っていたもの
今回の上海出張を終えた私を待っていたのは何か?
人間として一回り成長し、他の同僚から一目置かれるようになった充実の日々・・・では無い。

出張中、現地に駐在している同僚から「中国の水は危ない。例え水道水であっても絶対に信用するな」と言われていた。
日本は世界一水道水が安全な国なので、それを基準にするなと。
その教えを守って過ごしたので、上海出張中は幸いにも一回しか下痢をせずに済んだのだ。
「駄目じゃん!」と思うかも知れないが、一ヶ月滞在して一回だけなら上出来だろう!
で、なんとか出張を乗り切って帰国した私を待っていたのは・・・そう、病である。

上海から帰宅した翌日に高熱を発してしまった。
長旅による疲労なのか、向こうで何かを煩ったのかは不明だが、とにかく寝込んでしまったのだ。
そして同時に咳が出始め、熱が引いた後も一ヶ月くらい収まらなかった。
個人的にはこちらの方が辛かった。
後から分かったことだが、上海をはじめとした中国の都市部は空気が凄まじく汚いらしい。
日本も大都市や工場地帯の空気はそれなりに汚れているが、中国などのそれは比べものにならないという事だ。
そこで一ヶ月も過ごした為、空気の汚れにすっかりやられてしまったのだろう。
その後、再び上海に出張に行く機会があったのだが、その時は前回の教訓を活かして行動した。
常時マスクを着用し、外から戻ると必ずミネラルウォーターでうがいをしたのだ。
すると、その甲斐が有ったのか、前回のように体調を崩すことも無く無事だった。
こうやって教訓を活かして少しずつ成長していくのが人生ってもんだね!
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